Mar 29, 2012

think tank



















昨日バクが食べたのは、 
蝶々の森のその向こう、 
沈むアカネの影の鳥、 
後には夜の四分音符、 
ゆりかご赤子の子守唄、
夜泣きの涙の雨降って

アオアシ見とれる水たまり、




その昔大学の先生が
「日々の生活が満たされてしまったら良いものなんて作れない」
というようなことを言っていて、
そんな殺生な!と思ったもんですが、
最近気付いたのは「絵を描きたい」という欲求さえなければ、
すっかり満足した生活を送れているのにな私、ということです。
でもその不満足感が良い作品を生むとしたら、
絵を描きたいんだけど今は描く隙がなくて
でもそのおかげで良い絵が描けそうで
だから絵が描きたくてでも描く暇なくて…
ってなんかそれってぐるぐるイタチごっこだな。
ぶつぶつ言わずにやれってことだ。
(そんなことを言える、本当に家族に感謝。)


今を国語の辞書で調べると「過去と未来の境目」と出てくるのですが
それに気付いてからそれっていつだ?って度々考えたことがある。
しばらく忘れていたのだけど、思い出すことがあって、
また一度、それっていつ?って考えてみると、
宇宙の端っこってどこらへん?って想像するみたいな
気持ちいい宙ぶらりん感。


「絵本を抱えて部屋のすみへ」江國香織
この本の中で引用されていたマザーグースの一節。

「いきたいところに いけるのなら 
 いまいるところには いないでしょう
 いまいるところを でられなきゃ
 いきたいところは いけないの」
 センダックの絵本に関する項で。

子どもの頃は集団生活がなんとも生きにくかったので、
(だって子どもってそれが人生の全てだと思ってしまう。)
いつもここではないどこかを夢見て、
文字通り寝る前にその場所を想像して「夢見る」時間が好きだった。
バカみたいだけど、
部屋の隅っこの闇が集まってブラックホールのようになっているところをじっと見つめては、
そこから別の世界に吸い込んでいってもらえるんじゃないかと
ほんとに小さい私は何度か試したものだった。
不思議なことに、暗闇を瞬きもせずに見つめると、
目が慣れるどころか暗闇はどんどん広がっていくのだ。

弟と一緒だった部屋から、ひとり部屋をもらった頃の話。






Mar 14, 2012

the air
























昨日バクが食べたのは、 
蝶々の森のその向こう、 
沈むアカネの影の鳥、 
後には夜の四分音符、 
ゆりかご赤子の子守唄、


夜泣きの涙の雨降って、








東京の家に戻ってもうすぐ一週間。
まさかこんなに大変だったとは…と、
夜になるとうじうじする弱いお母さん。
だけど、なんだか、たぶん大丈夫。
少しずつ、少しずつ、
ふたりの娘も私も、こっちの空気に馴染んできている。