Jul 23, 2017

浮き輪にあいた穴

今朝は珍しく涼しくて、
家事もラクに出来るし呼吸もしやすい。

昨日、次女が浮き輪にアメピンを刺して穴をあけた。
まだひと月程前に勝ったばかりの浮き輪。
プールに行った時にふくらませて、そのまんまリビングに転がっていた。
私は「なんでそんなことしたの!?」と怒って、
次女は「ごめんなさーいーーー」と泣いて、
ほんとおバカだなあと笑ってなぐさめた。
穴は小さいのでビニールテープをバッテンに貼付けてとりあえず補修。


その夜、娘たちが寝静まった後、
ぼんやりとアメピンと浮き輪のことを考えていた。
次女の気持ちがよく分かる気がする。
お母さんは家事に忙しく
お姉ちゃんも宿題で相手をしてくれない。
自分だけ暇で時間を持て余し、
浮き輪に座ってぼんやりしていると、手の届くところにアメピンが置いてある。
なにともなしにそれを掴み、無意識に浮き輪に突き立ててみる。
浮き輪のビニールがグッと凹んで、
このまま押し込んでみたい、どこまで耐えられるか試してみたい欲求が起こる。
力をこめてみるとあっけなく浮き輪に穴が開いて
「あ…ヤバい」と我に返る。

どうして?って言われたって分からないんだ、ただそうしてみたかっただけ。
なんとなく気持ちよいから。先を知りたいから。



みんなそのビニールに穴をあけないように力を加減して暮らしている。
ギリギリまで行っても穴はあけないように、
穴があいたら元に戻れないし、ビニールの壁は結構強い。

でも無意識のところに、穴をあけてみたいという欲求があることは知っておいた方がいい。
そういうことは、簡単にたがをはずされるものだから。
集団的な洗脳状態で。危機的な(と見せかけられた)状況で。正義という名の下で。
退屈で、社会の中で、孤独で。

先日読んだ村上春樹のインタビュー(…と書きましたが対談でした)で、
先の大戦の反省を、一部の指導者の責任と押し付けて、
国民皆被害者にしてしまったのが良くない、ということが書いてあった。




知らず知らず考えが飛躍して背筋がゾクっとしたが、
とりあえず浮き輪に穴をあけるな、ということは言っておいて正解、と思った。






Jul 19, 2017

おかあさんは じゆう じゃないの?



珍しく爽やかな朝に
家事がひと段落して、窓辺の床にゴロンと寝転んでいると
次女がやってきて隣に並んだ。

「さわやかで 風も吹いてて 空が青くて いい感じだねー」
と私が言うと
「さわやかで いい天気で 自由だー!」
と次女が言う。

「いい天気で自由って、君はスバラシイねー」
と私が言うと
「そうだねー、お母さんは 自由 じゃないの?」
と次女が見つめてきた。

おお…
っと一瞬ひるんだのち、
「お、おかあさんも、自由だよー」
と答えた。



そうか、私は考えていたより自由かもしれないと思った、
爽やかでスバラシイ朝でした。

Jul 1, 2017

大事なことはブロガーで

何かがあると言葉にしたくなる癖があって
twitterはとても良いツールなのだけど、
膨大な川の奔流に言葉を吐き流し続けるよりは
どこかに書き貯めていく方が、制作の為には良いのではないか、とふと思った。
読み返すという意味ではなく、なんとなく、です。

そこで早速日々の記録用に小さなノートを買ってみたのだけど、まあ書かないよね。
(そもそも、そこで新しいノートを買う!という行為自体がとても短絡的な気がしてきてこっぱずかしい)

まずいつも身の回りにそのノートがある訳じゃないし、
鉛筆を持つ、ノートを開く、書き付ける、の段階がまどろっこしいし、
あと「誰にも見られない」という意識が働いて、文章が乱雑。修正もしづらい。

なるほど「誰かに見られる可能性がある」ということが
良い意味での緊張感、訓練になっていることに気付く。


そういうことがあって、大事なことはブロガーで書いていこうと思います。
アクセスカウンターを見る限りごく少数の方しか読んでいないと思うし、
その極少数の方の目が、文章を律する警策になっています。ありがとうございます。


で、ここまで書いたところで、
元々いったい何を書かんとしていたのか忘れてしまった。
何か制作上の思いつきや、気付いたことを書くつもりだったのだけど。

今日から7月、昨晩今年初の蝉の声を聞きました。
大事なことはそれくらいかもしれない。