ゴールデンウィークは富山にいた。
楽しいものがたくさんあった。
「山が笑う」ところを見て、
空に絵を描いたような立山連峰を見た。
夫のお爺さんが亡くなった時に見つかった古いアルバムを見た。
どれもこれもなんとなくしっとりと湿り気のある
不思議な富山の空気に満ちていて、とても綺麗だった。
夫が幼い頃に毎年参加していたお祭りをはじめて見た。
普段は寂れたシャッター通りが祭りにあわせて人で溢れかえった。
剃り込みを入れた青年、一升瓶片手に酒を勧めて回るおじさん、
はっぴを着て大人の顔をした少年たち。
地元の中学生がデート中のクラスメイトと遭遇したらしい。
人混みの中すれ違いざまにきゃっきゃっと騒いでいた。
娘がりんご飴を欲しいと言って、姫りんご飴を買い縁日を歩きつつ食べた。
予想通り半分以上残して、私が真っ赤な飴と酸っぱいリンゴを食べた。
行燈は凄かった。いかにも血気盛んな若者が、よいやさ〜よいやさ〜と太い声で叫ぶ。
うまく聞き取れなかったけれど古い祭りの歌を皆で歌っていた。
大きくて美しい行燈が小さな町の細い商店街を練り歩く。
行燈を支える太い木の土台が歩く人を威嚇するように押し退けていく。
分厚いメガネにぽちゃぽちゃのほっぺの少年は、行燈に乗って誇らしげだ。
瑞龍寺も素晴らしかった。
このお寺はとても開放されていて、昔の台所や中庭、
坐禅の間なども自由に見て回ることができる。
私が行った日はお天気が良くそこここの戸が開かれていて
心地よい風と陽の光が寺中を駆け抜けていた。
贅沢に広々とした敷地にシンメトリーな構造。
すっと心の波風が鎮まるような気がした。
瑞龍寺の気風なのか、国宝の観光地だからか。
なんというか…英語で言う「オープンマインド」なお寺のように感じた。
お寺というのは本来そういうものなのかもしれない。
夫の故郷は私にとってなにもかもが新しい。
人も風習も風景も、肺に吸い込む空気でさえもどこか新鮮だ。
異国の地に来たように、初日に頭痛を患うのも富山への旅のお決まり。
そしてお察しの通り、ホタルイカや白エビや刺身は
間違いなく美味しかったのだった。