Sep 12, 2017

9月11日の備忘録

テロのあった9月11日は、私はニュージーランドに留学中だった。

これは、その日の記憶があやふやになってきているなと気付いたので、
覚えているうちに書き留めておこうという、ただの備忘録です。



確か、朝のニュースでテロの様子が流れていた。
ホームステイしていたコープステーク家の家族がその画面に釘付けになっていて、
私も訳が分からないけど大変なことが起こっているらしい、と感じた。

そもそも映像が非現実的な上に、ニュース番組の早い英語を私はほとんど理解出来ていなかったので、もう本当にさっぱり訳が分からなかったのだ。

たぶん、私のその茫然とした様子を「ショックを受けている」と勘違いしたホストマザーが
「今日は学校を休んでいいのよ」と言ってくれた。
でも休んでもその家でゴロゴロするしかないので、
(そして私はそこで思う存分ゴロゴロするほど打ち解けてはいなかった)
学校に行ったと思う。



また、その夜だか、翌日だったか、
「パールハーバーのようだ、パールハーバーのようだってテレビでは言っているけど、あなたは気にしなくていいのよ」
とホストマザーに言われた。

その当時ちょうど「パール・ハーバー」というベン・アフレックとジョシュ・ハートネット主演の映画が公開されていて、それもあってか「like the attack on pearl harbor」としきりに表現されていたらしい。
でもそれも私にはあまり聞き取れていなかったので、「はぁ、そうなんだ…」と言われてやっと理解したくらいだった。

余談だが、pearl、という発音がどうしても上手く出来なくて、現地の友達に何度も何度も直された記憶がある。



その時の私は「真珠湾攻撃のようだ」と表現されても、
それに対して複雑な思いを抱いたり、ショックを受けたりするようなことがないくらい何も知らなかったし、
当時公開されていた映画「パール・ハーバー」を見て、考え込んだ日本人はどれくらいいたんだろう?
私は今だってよく分からない。





私の両親は日本にいて、
テレビをぼんやりと見ていたら突然画面が切り替わり、あの映像が流れたと言っていた。ライブだったのかもしれない。
父は「訳が分からなくて、映画か冗談かと思った」と言っていた。
2階の居間で絨毯に座って、薄暗い部屋でテレビに釘付けになる父の姿が思い浮かぶ。そこに私も居たような気がしてしまう。





Aug 2, 2017

「絵本のいま 絵本作家2017-18」掲載





「絵本のいま 絵本作家2017-18」(玄光社)
に掲載していただきました。嬉しいです。
これからも絵本や童話のお仕事ができるように頑張ります。

余談ですが紙上で昔からの友人知人、先輩方を発見することができて、
本に向けて「ハロー!」と語りかけたくなりました。
みんな会いたいな。



Jul 23, 2017

浮き輪にあいた穴

今朝は珍しく涼しくて、
家事もラクに出来るし呼吸もしやすい。

昨日、次女が浮き輪にアメピンを刺して穴をあけた。
まだひと月程前に勝ったばかりの浮き輪。
プールに行った時にふくらませて、そのまんまリビングに転がっていた。
私は「なんでそんなことしたの!?」と怒って、
次女は「ごめんなさーいーーー」と泣いて、
ほんとおバカだなあと笑ってなぐさめた。
穴は小さいのでビニールテープをバッテンに貼付けてとりあえず補修。


その夜、娘たちが寝静まった後、
ぼんやりとアメピンと浮き輪のことを考えていた。
次女の気持ちがよく分かる気がする。
お母さんは家事に忙しく
お姉ちゃんも宿題で相手をしてくれない。
自分だけ暇で時間を持て余し、
浮き輪に座ってぼんやりしていると、手の届くところにアメピンが置いてある。
なにともなしにそれを掴み、無意識に浮き輪に突き立ててみる。
浮き輪のビニールがグッと凹んで、
このまま押し込んでみたい、どこまで耐えられるか試してみたい欲求が起こる。
力をこめてみるとあっけなく浮き輪に穴が開いて
「あ…ヤバい」と我に返る。

どうして?って言われたって分からないんだ、ただそうしてみたかっただけ。
なんとなく気持ちよいから。先を知りたいから。



みんなそのビニールに穴をあけないように力を加減して暮らしている。
ギリギリまで行っても穴はあけないように、
穴があいたら元に戻れないし、ビニールの壁は結構強い。

でも無意識のところに、穴をあけてみたいという欲求があることは知っておいた方がいい。
そういうことは、簡単にたがをはずされるものだから。
集団的な洗脳状態で。危機的な(と見せかけられた)状況で。正義という名の下で。
退屈で、社会の中で、孤独で。

先日読んだ村上春樹のインタビュー(…と書きましたが対談でした)で、
先の大戦の反省を、一部の指導者の責任と押し付けて、
国民皆被害者にしてしまったのが良くない、ということが書いてあった。




知らず知らず考えが飛躍して背筋がゾクっとしたが、
とりあえず浮き輪に穴をあけるな、ということは言っておいて正解、と思った。






Jul 19, 2017

おかあさんは じゆう じゃないの?



珍しく爽やかな朝に
家事がひと段落して、窓辺の床にゴロンと寝転んでいると
次女がやってきて隣に並んだ。

「さわやかで 風も吹いてて 空が青くて いい感じだねー」
と私が言うと
「さわやかで いい天気で 自由だー!」
と次女が言う。

「いい天気で自由って、君はスバラシイねー」
と私が言うと
「そうだねー、お母さんは 自由 じゃないの?」
と次女が見つめてきた。

おお…
っと一瞬ひるんだのち、
「お、おかあさんも、自由だよー」
と答えた。



そうか、私は考えていたより自由かもしれないと思った、
爽やかでスバラシイ朝でした。

Jul 1, 2017

大事なことはブロガーで

何かがあると言葉にしたくなる癖があって
twitterはとても良いツールなのだけど、
膨大な川の奔流に言葉を吐き流し続けるよりは
どこかに書き貯めていく方が、制作の為には良いのではないか、とふと思った。
読み返すという意味ではなく、なんとなく、です。

そこで早速日々の記録用に小さなノートを買ってみたのだけど、まあ書かないよね。
(そもそも、そこで新しいノートを買う!という行為自体がとても短絡的な気がしてきてこっぱずかしい)

まずいつも身の回りにそのノートがある訳じゃないし、
鉛筆を持つ、ノートを開く、書き付ける、の段階がまどろっこしいし、
あと「誰にも見られない」という意識が働いて、文章が乱雑。修正もしづらい。

なるほど「誰かに見られる可能性がある」ということが
良い意味での緊張感、訓練になっていることに気付く。


そういうことがあって、大事なことはブロガーで書いていこうと思います。
アクセスカウンターを見る限りごく少数の方しか読んでいないと思うし、
その極少数の方の目が、文章を律する警策になっています。ありがとうございます。


で、ここまで書いたところで、
元々いったい何を書かんとしていたのか忘れてしまった。
何か制作上の思いつきや、気付いたことを書くつもりだったのだけど。

今日から7月、昨晩今年初の蝉の声を聞きました。
大事なことはそれくらいかもしれない。



May 26, 2017

勉強と諦め


最近はガシガシ本を読んでいるんですが。
ある方向の物事について「知りたい!」「学びたい!」という気持ちが強い。
1冊読むとまた次の1冊、また次の1冊…とリレーのように自然と襷が繋がれていき、
読むごとに「へー!」「ほー!」「なるほどー!」といちいち感嘆し、脳に新しい領域が広がるような気持ちがしています。まだまだもっと勉強したい。


逆にあるひとつの方向については30代もそこそこにして諦めつつあります。
それは「名前を覚えること」です。
人名、本や映画のタイトル、地名、曲名、店名なんでもいいんです、ひとつの物に付くひとつの呼称。
それがどうしてもどうしても覚えられなくて、「怠慢だ!」と言われるとごめんなさいって感じだけど、どんなに努力しようとも覚えられないのだからやっぱりもう仕方ないんじゃないかと思い始めています。今の年齢の倍になる頃には全ての物が「あれ」「これ」「あなた」になっているような気が。


さて私がガシガシ読んでいる横で、長女もまた読んでいます。
最近の長女は本の虫です。
机を挟んで、ソファで隣り合って、私は私の、長女は長女の本を読んでいます。
親しい人と同じ空間に居ながら、それぞれの楽しみに静かに勤しんでいる。
これこそが私がずっとずっと求めていたことのような気がして、時々この上ない幸福感に包まれます。
そのうち長女は自分の部屋に引っ込んでいくことになるのかもしれないけど、束の間の幸せを享受したいと思うこの頃です。





May 15, 2017

いつになるやら


入学進級に伴う生活の変化により怒濤の4月が終わり、
5月1日に髪を切って整体にも行って
さあ!気持ちを新たに!と思ったところにゴールデンウィーク。
そしてその後に母の上京。
まだ買ってもらったランドセルも見せられていなかったので、
初孫が登校する姿を見てもらうことが出来て良かったのでした。
毎日毎日「ばあば〜!」「ばあば〜!」と6歳5歳につきまとわれて、
母はさぞかしヘトヘトになって帰っていったのでは…と心配しております。


今週は参観ウィーク、そして家の工事。
いつになったら落ち着いた生活が戻ってくるのかしら…

毎日ヘトヘトに疲れて眠り、朝まで目覚めず、
やりたかったあんなことやこんなことも全部放ったらかし、
家事と送り迎えと遊びの付き添いで一日が過ぎていき、
本当にこれでいいのかな…って、
こんなことをしているうちに気がつけば今度は両親の介護の問題が浮上して、
そして歳の離れた夫の介護…なんてことになり、
そうこうしていると自分がお婆ちゃんになっていて…
なんてところまで想像してぞっと身震いしましたが、
焦るな焦るな大丈夫、
ただもう少し体力をつけたい、そんな毎日です。

Apr 29, 2017

「わたしのなかの少女が永遠を奏でる」at silent music 終了しました。



silent musicさんにて、
企画展「わたしのなかの少女が永遠を奏でる」
先週無事終了しました。
お越し下さった皆様、ありがとうございました。


水彩で描いた作品を出展、
そして1年前の東京の個展で制作した「あかるいところ」という手製本の絵本を販売しました。

水彩を使い始めて2年程経つでしょうか。
今は気分や題材によって、油彩、水彩、オイルパステルなど使い分けていますが
最も力を抜いて表現出来るのは水彩かもしれません。(今のところ)

思考を最もダイレクトに紙の上に置けるのが
私にとって今は水彩で、
それを今回の展示では受け入れていただけたような気がしています。



この頃気付いたことがあります。
私は絵本の読者として自分の娘をいつも思い描いていたつもりですが、
どうやら違うようです。
本当のところ、私は「子どもの頃の私」に向けて作っている。
そう考えるとしっくりくることが沢山あって。
そうかそうか、私の中に居る子どもの私を満足させたいんだな。
(インナーチャイルドとかそういうこととも違います)


子どもの私の厳しい目を信じて、
好きなものをどんどん描いていきたいなと思います。






Apr 18, 2017

4月



前回の日記から、今に至るまでいろいろなことがあったはずなのに、
ただただ忙しく、振り返る余裕も無かった。そして4月。


長女が卒園。
春休みには家族ではじめての沖縄旅行。今までで最も長く、最も遠いところに行った旅。
そして私の父の退職。照れながらも、帰宅する父を拍手で出迎えた。

それらのことがもうずっと昔のことのよう。
4月、長女が入学。
ランドセルを背負って入学式に向かう1年生たち、
ピッカピカ!とはこのことか!と、
本当に丸ごと、人間ごとピッカピカの新品みたいな子どもたちでした。


それからは、
毎日ひたすら朝昼晩ご飯を作り(給食がはじまらない)
送り、迎え、提出物、持ち物の名入れ、保護者会、公園遊び、自転車の練習、
毎日毎日毎日毎日、
それはもう、時間と期日とご飯のことと、
力を持て余した娘たちとの午後の過ごし方ばかり考えている日々。

今週から給食がはじまりますので
やっとほんの少し息抜き、できるかな…






子どもたちがもっともっと小さくて、
子育てが本当にキツくて、
たぶん病院に行けば産後鬱とか育児ノイローゼとか言われたであろう頃、
何度か知人にカウンセリングをしていただいたことがあって大変に救われた。

その時に、いろいろと優しい言葉や実際的な助言もしていただいたのだけど、
確かポロリと会話の隙き間に言われた一言をよく覚えている。

「心からそうしたい、という時には、なにもかも捨ててでもそうするからね」

例えば海外をひとりで旅したいだとか
思う存分絵を描きたいだとか
自分で自分の予定をコントロールしたいだとか
あれこれできないことを並べるのは簡単だけど
どれも本気でやろうと思えばできること。ただやろうとしないだけ。
本気で願っている訳じゃない。


それと同時になんとなく、
そう遠くないうちに生活をガラリと変えたいような、
ものすごく勘でしかないけど、そんな予感があって、
その時が来たら遠慮なく、変えて行きたいなと思ってる。



Mar 3, 2017

水泳帽とトナカイの角

このあいだ、私が蕁麻疹と頭痛と悪寒のトリプルパンチで寝込んでいた日、
寝室にやってきた娘たちは私の布団にもぐりこんだり
布団の周りを走り回ったりと忙しく遊んでいて、
おもむろに押入の「季節もの(夏)」の棚から水着セットを取り出した。

うひゃひゃ!と大笑いしながら水着に着替えて
目にはゴーグル、頭には水泳キャップ、
そして更に「季節もの(冬)」の棚からとりだしたトナカイの角のカチューシャをつけて、
腰にバスタオルを巻いてふりふり踊り出した。

この人たちのすごいところは、
「どうだ、おもしろいことやってるだろ〜!」という意識がなくて
「なんか楽しい!なんかヘン!うひゃひゃ!」と純粋そのものなところ。


なかなか貴重で愉快な姿を写真におさめたいと
枕元のスマホで撮影したらなかなか良い写真が撮れた。
うわー!これ最高!見てみて!みんな見てー!と
一瞬SNSにあげてしまいたい気持ちに駆られるも、
娘だってこんな姿は親にしか見せない訳で、
それを不特定多数に公開するなんて言語道断だわ!と思い留まり、
ほんの一瞬でもみんなに見せたいって思った自分に腹を立てた。

今は写真をこっそりと見返して、ひとりにんまりしている。





Mar 2, 2017

半年とこれから

越してきてそろそろ半年が経とうとしています。

半年前のドタバタしつつも緊張した時期を思い出すと
たった6ヶ月しか経っていないなんてウソみたい、
今は新しい土地に愛着を持ち始めています。

私が住んでいる場所は、自然の勢いがすごいです。
もし数ヶ月人が住まなくなれば、あっという間に緑に覆われて
自然が人工物を飲み込んで行くんだろうなって思う。

実際ほんの少し草刈りを放っておいただけで
歩道に草や蔓が伸び出して
人間は渋々道の端を歩くことになります。
庭にもあちこちから知らない草木が生えてくるし。
たぶん先住の方が植えたものばかりではないはずです。

鳥も虫もたくさんいます。
虫は…まだ慣れないけども、
ときどき多足系の虫にヒェー!となりつつ、
仲良く暮らしましょうよ、どうぞよろしく、という気持ちです。
鳥は今のところ大歓迎、
いつか果物の木を植えたとしたら、きっと壮絶な攻防戦を繰り広げることになりそう。


あと一時は屋根裏にコウモリが住んでいる疑惑があって
夜になると騒がしくなる屋根に耳をそばだてていました。
日が落ちる頃、コウモリが出てくるのでは?と、
屋根の空気孔の前に娘と張り込んでいたのも良い思い出。


坂が多くてはじめは毎日くたびれていたけど
体力的にも精神的にも慣れた、
このタフさに慣れていたら老後も足腰は健在なのでは。


当初は車が絶対必要!と思っていましたが
だんだん慣れにより「要らないかも?」と思い、
でも子どもが大きくなった時にこそ
例えば夜10時に娘が駅から帰ってくる、みたいな時にこそ
さっと車でピックアップ出来る体勢はあった方が良い気もします。


今の私の作業机は後の子ども部屋と同室になっているので
あと数年したらどこか別の場所に移らないと行けない。
部屋数からして私の部屋は無いので、リビングになる。
うーーーーん、という気もしますが
それくらいがちょうど良い距離感かもしれないな。


娘はもうすぐ小学生、
新学期!とか新生活!と聞くとワクワクよりは憂鬱…と思ってしまう私なので
娘が純粋にキラキラと「楽しみ!」と胸を膨らませている様子に羨望のまなざしです。
どうか良い環境に恵まれますように。



Feb 23, 2017

「もてなす」ってなにか


年末から色々な方が家に遊びに来て下さった。
と言っても2週に一度くらいのペースですが、
引越す前の数年はとても人を呼ぶ余裕なんて無かった事を思うと
私にとっては驚異的なことです。


以前は「もてなす」ということに酷く苦手意識を持っていて
料理には自信が無いし…お菓子作りも好きだけど味はどうかなって感じだし…
気も利かないし…とウジウジするばかり。
それを大きく変えてくれたのが幼稚園ママ友の料理教室でした。


エイヤー!!!っと勇気を出して参加した教室。
えーっと、そもそも料理教室に参加することにも恐怖心を持っていて
手際の良い料理上手な女性が集まると聞くだけで
わなわな手が震えそう…って思うくらい、いろいろコンプレックスでした。


そこで教えていただいたのは本当にシンプルな材料と手順、
それなのに出来上がった料理のお皿を並べたテーブルは
なんだかとっても「スペシャル」でした。
味だってそう、いつもと変わらない材料のそれがなんだか美味しい。
わあ!美味しい!って思わず声に出るような。


何が違うのかな???って心底不思議に思った私は
考えたり観察したりして、シンプルなことに辿り着きました。
それは「ほんの少し丁寧に」ってことと「相手を慈しむ」ってこと。


そんな単純なー!って思うんですがこれが以外に難しい。
梨木果歩さんの「からくりからくさ」を読むと
「慈しむ」才能のある主人公と、それを「ちょっとうらやましいなって思う」周囲の様子がよーく分かります。
「慈しむ」って難しい…


でもそういうことを自然に為せる人たちを見ていると
私に持って生まれた才はないけれど努力はしたい、と思います。
そう思えたら、あらゆる苦手意識がなんだか薄れていきました。
結果じゃなくて、課程で良いかな。


春には窓から桜が見えます。
是非遊びにきてね。



Feb 7, 2017

立春

「春が年々待ち遠しくなる」
とは、大人の人のよく言う台詞、私もひしひし感じています。


立春の一週間程前からなんだかワクワクしてきて
髪を切ったり、体もなんだか軽くなって。
気分も「いよいよはじまるぞ」という、
何が、という訳ではないのだけど、
とにかくなんだかはじまるぞ、リ・スタートだぞという気持ち。


節分でいつものように挙動不審になる次女を見てクスクス笑い、
久しぶりに子どもと一緒に巻き寿司を巻いた。
「あたしは誰がなんて言おうと、巻き寿司を黙って一本食うなんてやんないからな!」と、
なぜか今年も意地を張って、はじめから切り分けて喋りながら食べた。


立春の日は温かくて雲一つない紺碧の空だった。
近くの川にピクニックをしに行って、かくれんぼしたりサッカーしたりして
お弁当にはもちろん巻き寿司が入っていた。


今日は立春から3日経ったけれど、絵がひとつ完成したので私の中で区切りの日。
絵をスキャンして画像処理、ひと息ついて「トットひとり」を読んでいたら
「人生は修練と勇気、あとは全部ゴミ!」という言葉に出会い、
なんだか大きな勇気をもらった。背中をバチーンと叩かれたよう。

その後少し前にこっそり買って私の作業机の下に隠していた大判絵本「シャクルトンの大漂流」を初めて開くと、
冒頭にロアール・アムンセンの言葉として
「あふれんばかりの勇気とゆるぎない決意、
 不屈の精神で挑む者に失敗はない。」
という一文が紹介されていて、
なんだか今日はやけに励まされる日だなと思う。


そんな訳で、今日から、
勇気を持って新しい創作に挑もうと思っております。






Jan 25, 2017

「そのぬくもりはきえない」岩瀬成子


「そのぬくもりはきえない」
岩瀬成子さん


4年生の波ちゃんが、一人暮らしで高齢のおばあさんの犬の散歩を引き受けて、そこから起こる出会いや変化。

この本を読んで、私は母親でもあり娘でもあることを改めて実感した。
波ちゃんの心のモヤモヤに私も一緒に苦しくなり、
お母さんの言い様ややり方にも「確かにそうなっちゃうよなぁ…」と自分を省みた。

波ちゃんくらいの年頃の女の子が、このお話を読んだらどう思うんだろう。
共感して、私も変わりたいと思うだろうか。
でも現実にはそんな風には変わらない環境や親や自分にガックリするだろうか。
私だったらどうしたかな。うーん。


懐かしい、幼い頃の閉塞感や、
道ばたの匂いや、女の子同士の面倒なあれこれ、
いろんなことが目の前にありありと浮かび上がった。

「匂い」がカギだな、と思った。
素晴らしいお話を読むと、その世界の匂いがする。


Jan 23, 2017

2017年

2017年!
と言うにはもう1月も下旬です。
もうすっかりどっぷり2017年です。

今年は、
個展はお休みします。
絵本を楽しく作ります。
健康をもっと意識します。(願わくばダイエット)
お家に人を招きます。
お庭や植物について勉強して育てます。
本を読みます。映画を見ます。
家族旅行をしっかり計画します。



2016年までは必死!いっぱいいっぱい!頑張ってる!って感じだったし
そうしないことには自分自身を認めてあげられませんでした。
頑張ってないと、なにかに向かってひた走っていないと、
誰も私のことなんて見てくれない、とすら本気で思っていたのです。


それに、子どもが生まれてからしばらくは
本も読めないし、映画も見れませんでした。
時間がなかった訳じゃなくて、
そんな暇があったら何かやらなきゃ、って。
時間がもったいないもったいない!忙しい忙しい!って、
「モモ」の時間泥棒に盗まれた大人と同じです。



が、これは年齢のせいなのでしょうか、それとも愛情でしょうか、
2016年じっくり1年間かけて
ようやくそんな状態から心が解放されました。ひゃっほー
頑張ってない自分もオッケーって思えるようになりました。

ということではじめに書いた通り、
今年はあらゆる意味で遊ぼうと思っています。
どうぞよろしくお願いします。